■「才能」という言葉に翻弄される若者たち
30年間、漫画業界で生きてきたプロ崩れアシスタントが
勝手に書かせていただきますよ。
「あの人には才能がある」
「彼は、ものすごい才能です」
× ×
「わたしには才能がありますか?」
「才能がないならないって、ハッキリ言ってください!」
× ×
「俺には才能なんてないんだ! もう…生きていてもしょうがない!」
「やめろ! 才能なんて、なくったっていいじゃないか! 世界は美しい…」
などというやり取りが、そこここで聴かれる昨今の世の中
どうやら多くの若者にとって、自分に才能があるかないかは重大な問題のようです。
僕も若いころは、そうでしたし、
自分には、才能があると信じて疑いませんでした。
■才能とは何か
「才能」とは何でしょう。
僕の結論は出ています。
世間で才能と呼ばれているソレは、技術の複合体です。
漫画を例に話を進めましょう。
漫画を描くために必要な技術は多岐にわたります。
絵を描く技術
ストーリーを考える技術
白い紙の上にコマを割る技術
動きで説明する技術
ストーリーのラストで上手くテーマをにおわせる技術
アイディアを思いつく技術
などがあります。
それらのどれか一つが、あるいは、
複数が、他人にくらべて秀でている人のことを
我々は「才能がある人」と呼ぶのです。
■「才能」は習得できる
それぞれの局面において、
上手く出来る人と出来ない人がいます。
上手い人には、理由があります。
ストーリー作りが上手い人は、
子供の頃から、たくさん映画を見たり小説が好きで本ばかり読んでいたりしていたことでしょう。
絵が上手い人は、
外で遊ばず、絵ばかり描いていたのではないでしょうか。
知らない事を知ることが好きで、図書館に通って
趣味でいろんなことを勉強していた人もいるでしょう。
子供のころからやってきたそういう事が、
結果的に各分野の訓練になっていて、
同年代の人と比べた場合、
他の人よりも突出して上手くできるという現象になってあらわれます。
世間では、そういう人のことを
才能があると言います。
才能がある というボンヤリした言葉にしたとたん、
天から与えられた特殊な能力みたいに感じてしまって、
人間には、あらがえないものと考えてしまいがちです。
しかしそれは間違いです。
何度も言いますが、
才能 とは 技術 のことなのです。
技術である限り、訓練によって習得可能なのです。
■自分には才能がないと感じたら
先に話したとおり、
才能とは技術の複合体です。
才能がない=技術がない
という事です。
自分には才能がないと感じたら、
まずは、出来ることと出来ないことを分類しましょう。
自分は、上手い絵が描けない。
ストーリーも思いつかない。
どうやって考えればいいかも、かいもく見当がつかない。
ネームも切れない。
全部4コマ漫画みたいになってしまう。
状況をまとめると、どうしていいかわからない。
そういう場合は、一つ一つを分けて考え、
訓練する計画を立てます。
絵を描く技術、ストーリーを考える技術、面白くする技術…などなど、
それぞれ、上達する方法を探しましょう。
こんな時代ですから、
とりあえずググればOK。
ためになりそうな本があれば買いましょう。
訓練には、時間がかかることが多く、
たいていの人は、少しずつ進歩しているにもかかわらず、
「いつまでたっても上達しない。 やっても無駄なんじゃないか?」
とあきらめて別の分野へ移ってしまいます。
継続は力なり。
やり方をググって、これをやってみようと思ったら、
しばらく継続しましょう。
「あ、このやり方間違ってる」
と思うまで。
■そして「才能がある人」と呼ばれる
ひとり訓練を継続していると、少しずつ成果があらわれるでしょう。
気がくと、それぞれの技術が、
素人と呼べないくらい上達しています。
そして、どこかの誰かに言われるのです。
「いいわね、才能があって…」
そう。
才能とは、上手くできない人が、上手くできる人に対して使う言葉。
上手くできないのは訓練が足りないだけなのに、
何か天から授かった不思議な能力がある、みたいな言い方をして、
自分の努力が足りないという事実を
隠そうとしているだけなのです。
■まとめ
そんな言葉に振りまわされているのが、
才能がどーのこーの、と言っている冒頭に出てきた人々です。
どうです。
ばかばかしいと思いませんか。
才能がある=訓練ができている
これが結論でした。
あの人には才能がある と言われる事は、誰にでも可能です。
長文におつきあいくださって
ありがとうございました!