マンガアシの教科書

22歳でアシスタントとして漫画業界入りし、プロ漫画家になったはいいけどヒット作無しで30年経過した男の告白ブログ/Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です

アナログアシ時代の思い出 その20「キツかった現場1/3」

 

今まででキツかったアシ現場 1/3

 

原稿そのものを作品として扱う先生

漫画の原稿っていうのは、基本、印刷されて初めて作品になるんです。

なので、印刷に出ない部分、
たとえば紙の端っこのほうは、どうでもいいので、

裁ち切りで、紙の端っこまでベタが塗ってある場合とか、
テキトーでいいワケです。

 

でもその先生は、
原稿用紙の端から、たしか5mmくらいにきれいな直線を引いて、

きれいにベタを塗るように言われました。

そして、ベタも見た目真っ黒にしてほしいので、
この筆ペンで塗ってください、と指定の筆ペンを渡されました。

 

 渡された筆ペン、乾きがめっちゃ遅かった!
 そのせいで他の原稿用紙重ねたら
 裏を汚しちゃってめっちゃ叱られました。

 

原稿を持つ時も、絶対に片手で持ってはいけないとのこと。

トーンを買うときに入ってたボール紙でできた箱に乗せるか、

最悪、手で持つ場合は、

下に手を広げて添えてもつように、とのことでした。

丁寧ですばらしいんだけど、

今までフツーに扱ってた僕にとっては面倒でした…。(-_-,,) 

 

あと、原稿を折ってはいけないということ。

これは当たり前で、
どの現場でも気をつけなければいけない事なんだけど、
その現場は、最初に、キツく、キツく、キツ~~~く言われました。

なので、常にヒジを浮かせての作業になって背中とか肩とかめっちゃ疲労しました。


そして、ホワイトを使ってはいけないということ。

つまりどんな場合も、はみ出すことは許さん!ということですね。


そうやってできた原稿は、
確かに芸術品のようにキレイな原稿でした。

トーンを貼る際にも、
「あとから貼り替えることがあるので、
ごりごりこすって圧着せずに、
軽く上に乗せる感じでお願いします」って言われました。

そんな状態の原稿を何枚も重ねて置いてたけど、

大丈夫だったのかな。

すごい小さく切ったトーンとかあったけど…。

はがれてる可能性あると思うけどな~。(^п^;) 

 

とにかくバリバリの少女漫画の現場で、
勝手が…わからんかった。

それが一番キツかったかも。 ( ̄д ̄||)  

 

それまで人物の影トーン貼りとか削りとか、
一生懸命修行してきたつもりだったのに、

少女漫画のトーンの貼り方、影のつけ方がわかんなくて、
貼って見せたら、

「あなた、影とかつけられない子?」

って言われたのはショックだったなー。 。・゚・(ノД`) 

 


その現場は、締め切り前日からアップまでの約束だったので、

1日だけでした。


正直、とてもキツかった…。


帰路、電車の中で時給を計算してみたら時給440円でした。

それもキツかったな~。(´・ω・`) 

 

つづく…

 

アナログアシ時代の思い出 その20 おわり

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アナログアシ時代の思い出 その19「ストレス」

 

賞金100万円の新人漫画賞をいただいたことで、
僕は地に足がつかない状態になっていました。

 

当時、まだ数回、ロイホ先生(仮名)のアシスタントが残っていたので、
静岡県まで新幹線で行き、
3泊4日ほどの日程で背景を描いていました。

 

受賞したことで、
僕は、自分の明るい未来しか思い描けませんでした。

週刊連載をして人気が出て、

アニメ化!ドラマ化!映画化!

とかそんな感じです。

実際は、それが、どのような道のりなのか
まったく想像できてませんでしたけど。

 

これからどうやって頑張ればいいのかも
よくわかっていませんでした。

 

新幹線に乗る前に、
これからは文化人になるのだからと、
『AERA』とか、なんかそういう情報誌っぽいのを買って読んでみたり。

読んでみたところで、よくわからなかったりで、
完全に空回りしてた気がします。


僕の担当編集者ザクロさん(仮名)
大きな賞を受賞したことで
がぜんやる気になりました。

 

「週刊連載を勝ち取りましょう!」

ということで僕は、ネームというかプロットというか、
とにかく連載できるような作品を作るために頑張りました。

もちろんマック先生(仮名)の週刊連載のアシを続けながら。

 

マック先生の仕事は毎週水曜~土曜まで


それからネームを切って、
火曜日にザクロさんと打ち合わせです。

 

最初は、毎週ネームを持って行ってたんですが、
時間の使い方が超下手クソで、
計画性のない僕です。

土曜日にアシが終わると、

「終わった~!」

となって、とりあえずその日は酔っぱらって寝ます。

 

で気がゆるんで、日、月と、だらだらしてしまって、
月曜の夜になってやっと、

「あああ…、明日までにネームやらないと…!」

って、めっちゃ焦って、

ひと晩で、ネームみたいなモノをでっちあげる訳です。


1ページの真ん中にタテ描きで、

「いろいろあって、ケンカになる」

と書いてあるページから3ページ連続で、

「ケンカ」「ケンカ」「ケンカ」

で、次のページが、

「なんだかんだで、オチ。END」


とだけ書いた、お世辞にもネームとは呼べないシロモノを持って、

編集部まで行く日々が続きました。

それを見たザクロさんの顔も曇ります。


何週目かの火曜日、

ついに僕は、電車の中で腹痛を起こして、
途中の駅で降りてしまいました。


「すいません、途中でお腹が痛くなってしいまって…。行けません」

と電話をすると、ザクロさんは、

「そうか。わかった」

とだけ言いました。


それから、ザクロさんとの毎週の打ち合わせは、なくなりました。

週刊連載の話は、立ち消えになりました。

マック先生のアシスタントだけに

心血を注ぐ日々が始まったのでした。

 


つづく…


アナログアシ時代の思い出 その19 おわり

 

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アナログアシ時代の思い出 その18「新人漫画大賞受賞」

今回は、
静岡県ロイホ先生の仕事場で、
仕事が終わったあと睡眠時間を削ってコツコツ描いていた作品が、
賞金100万円漫画新人賞をいただいた時のお話。

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僕は、マック先生(仮名)の事務所で、
週刊連載のレギュラーアシスンタトをする事になって、
毎週、忙しい日々を送っていました。

 

その知らせを聴いたのは、
マック事務所の作画期間中でした。

作画期間中ですから、
マック先生以下レギュラーアシ3人とも出勤していました。

 

そして担当編集者ザクロさん(仮名)も何かの用事で来ていました。

 

ザクロさんは、
僕が投稿した作品を評価してくれて、
電話をくれた編集さんです。


それ以来、僕の担当編集者となりました。

ザクロさんの紹介で、僕はマック事務所で働くことになったのです。

僕らは次のステップとして、
「賞金100万円の大きな賞に応募するための作品を作りましょう!」
と意気込んでいました。

 

     ×     ×     ×

 


その知らせを聴いたのは、
マック事務所で背景を描いている最中でした。

執筆室の先生の目の前にあった電話に、
編集部からザクロさん宛てに電話が鳴りました。

電話を受け取ったザクロさんは電話口で

「ああ、そう!」

と大きな声を出しました。

 

僕が背景の指示を聞きにマック先生の執筆室へ入っていくと、

マック先生ザクロさんが、僕の方を向いて含みのある顔をしています。

「…言わないんですか?」

マック先生ザクロさんにそう言うとザクロさんが、

「おめでとう!大賞、流星くんに決まったって!」

と言いました。


こんなとき不思議な気持ちになるものです。

大賞を受賞することは、最初からわかっていたような

さきほどの「ああ、そう!」という声を作業部屋で聴いたときに
何かを感じていたような。

時間がごっちゃになったような気持ちに。


ザクロさんと、何度もネームの直しをし、

何度もダメ出しを食らって、

最後の最後、もう締め切りまで時間がないという段階になって、

「もう、時間ギリギリだし、好きなように描きなよ」

と半ば放り出したようにザクロさんに言われた作品…。


それからロイホ先生のアシをしながら、
10日間で完成させた32ページの作品でした。

マック先生からは、

「キミは、いい腕だねぇ」

というお言葉をいただきました。

僕は、嬉しくて、
「ちょっと用を足してきます」
と事務所を抜け出し、
直近の公衆電話から、当時同棲していた現在の妻
報告の電話をかけたのをおぼえています。

 つづく…

 

アナログアシ時代の思い出 その18 おわり

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アナログアシ時代の思い出 その17「アシと格闘技」

 

マック先生の事務所にレギュラーアシとして入って

僕は格闘技の道場に通い始めました。

 

キッカケは、新井秀樹さんの漫画『宮本から君へ』です。

圧倒的な暴力に直面したとき君ならどうする?

って問いかけれたような気持ちになって。

真正面からストレートに受け止めた僕は、

路上のケンカに役立つという触れ込みの道場の門を叩きました。

 

週刊連載のアシやりながらだったので、
週に2回通うのが限界だったけど、いちおう一年間続けました。

結局、根性がなくて辞めてしまいましたけど。

 

その時の経験が、

マック事務所解散後に連載を始めた漫画『デカラッパ』(拙著)

生かされています。


で、その道場の教えが、

「とにかく食え!体重を増やせ!」

だったんです。

 

なので僕は、マック先生の仕事場で、

人の2倍食ってました。

ファミレスではハンバーグ定食ナポリタン、ついでにバナナパフェとか。

毎食そんな感じで食べまくっていました。


僕の体重は93kgにまで増えました。

 

仕事中の食事は、レシート持って帰るんじゃなくて
領収書なんです。

「領収書ください」
って言って、領収書もらって帰って、
先生に渡すというのが流れになってました。

 

レシートだったら

「ん?これ、メニュー多くない?」

って突っ込まれるところなですが、

領収書は金額しか書いてないので、
先生の目をまどわす効果があったと思います。

 

それをいいことに、僕は食べまくってました。

いま思うと、申し訳ないことをしました。

反省してます。_(._.)_ 

 

そうこうしているうちに、

先生とカクガリさんの仲が険悪になってきます。

給料いきなり半額事件(※)とかの影響で

カクガリさんの不満が爆発したんです。

担当編集者さんも、必死に頼み込んだらしいのですが、

結局カクガリさんは、マック事務所を去ることになりました。


※「給料いきなり半額事件」


長期の連載で疲れ果てた先生が、
急に姿を消したことがありました。


その月は、休日がかなり多くて労働時間は通常の半分以下。


翌月、給料をもらう日になって、

「先月は労働時間少なかったからキミたち給料半分でいいよね」

と言い放ったのです。

僕らアシからしてみると

「は?」

です。

「先に言ってくれよー!」

ってハナシです。

だけどその時は、アシ3人ともぐぬぬ…」と唸りはしたものの
何も言えず。

納得させられた形になったのでした。

 

つづく…


アナログアシ時代の思い出 その17 おわり

 

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アナログアシ時代の思い出 その16「週刊アシの現場」

 

漫画賞で佳作を受賞したあとの
マック先生(仮名)のアシ時代のお話。


最初に一日だけお試しでヘルプに入った時は、
16時間ぶっつづけ作業食事なし休憩なしだったけど。

レギュラーで入ってみると、当たり前だけど食事はちゃんとあった。


週刊連載のマック先生の事務所の一週間のサイクルは次の通り

日月火 マック先生のネーム作業。
水木金土 作画期間(アシ稼働日)

マック事務所のアシたちは、
水曜日にマック先生のマンションに行き、
原稿が上がるまでずっと泊りになる。

 

僕が家が
三人のアシの中では一番遠く、
てチャリで45分くらいかかった。
他の二人は、結構近くに住んでいた。

それでも全員泊りだった。

 

通勤の時間が惜しいということだと思うけど、
個人的に、毎日ちゃんと帰れないのは
ちょっとキツかった。

 

当時、今の奥さんと同棲中だったんだけど、
週の半分以上は家にいない生活だったワケです。

 

始業時間、終業時間などは決まってなくて
結構テキトー

 

先生から、

「あ、じゃあ、そろそろ寝ていいよー」

って声がかかるまでやり続ける方式。
それも個人的にはキツかったなー。

 

■食事

基本、先生から声がかかるの待ちだった気がする。

「キミたち腹減ったらメシ行って来たら」

って声がかかったらメシ。

いつまで待っても声がかからず、

どうしようもなく腹が減ったらアシの方から声をかける。

「すいません、腹減ったんで、メシ行ってきてもいいですか?」


とにかく何も決まっていない、というのがストレスだった。


後にマック先生本人が言っていたけど、

「俺は漫画だけ描いていたい。
他のことは、テキトーに上手いようにやっといてと誰かに丸投げしたい」

のだそうだ。

 

実際に、マック先生の口癖は、

「上手い具合にテキトーにやっといて」

だった。

 

この仕事場は、チーフアシスタントという存在も決まっていなかった。

 

アシの中で一番年上のカクガリさん(仮名)は、
僕より5~6歳年上だった。


マック先生の以前の連載時のアシスタントだったようで、
先生のことを「マックくん」と呼んでいた。

客観的にみて、どう考えてもこの人がチーフアシである。

 

もう一人、先生ともカクガリさんとも古い付き合いらしき
僕より2歳ほど年上のアロハさん(仮名)

そして僕。

レギュラーアシ3人は、全員マック先生より年上だった。

 

問題は、カクガリさんにチーフの自覚がまったくないことだった。

「マック先生からチーフを頼むと依頼されていないので
自分はチーフではない」

というのがカクガリさんの理屈。

だけどアロハさんは、年も少し若いし僕は新入りだし、
やはりカクガリさん以外にチーフはあり得ないのだった。

 

だけどカクガリさんに自覚はなく、

チーフ的な役割も果たさず、アシとしての仕事をこなすだけ。

マック先生「誰かテキトーにやって」だし、

毎週原稿は上げていたが、

職場としては、働きやすいとは言えなかった。 

 


週刊連載なので、担当編集者さんが頻繁に事務所を訪れた。

その時に持ってきてくれる「すき焼き弁当」がメチャ美味で
楽しみの一つとなった。

つづく…

 

アナログアシ時代の思い出 その16 おわり

 

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アナログアシ時代の思い出 その15「一回だけのヘルプ仕事」

 

これは、単発のお仕事、ヘルプアシのお話。


とある有名な漫画家さん。


ここでは、プロ先生(仮名)と呼ばせていただきます。

何本も映画化もされ、雑誌でも人気の高いベテラン漫画家さんだ。

 

どこから話がきたのか、まったく記憶がない。

たぶん、どっかで知り合った編集さんから
急に電話がかかってきたんだと思う。

 

仕事場は、近くだったのでチャリで行った。

古いコンクリートっていうかモルタルっていうか、

建築に明るくないのでわからないけど、
古い団地みたいなマンションが仕事場になっていた。

 

自宅がとなりの部屋らしい。

つまり

アパート2部屋借りて、

1部屋を仕事部屋にしていたということですね。

 

6畳とキッチン、トイレ、バスがある簡単な造りの部屋。

 

その6畳間に机が5個。
鉄格子のパーテーションなどを上手く使って
ステマティックに配置されていた。

それぞれ着席したまま会話ができ、
それでいてある程度プライベート感を出すという
これは配置のプロの仕事だ!

と僕は強く思った。

 

「こちらでお願いします」

と示されたデスクは、
デスクの右側は壁、

左側にはパーテーションによって作られた即席の壁が

ぴったりくっついていた。

だけど不思議と圧迫感がない。

いまでいうネットカフェのような心地よい閉塞感。

 

仕事開始。

アシ4人が背景描きや仕上げをする中で、

プロ先生は、

ヘッドフォンステレオでハードロックだかメタルだかを

ガンガンに聴きながらネームをしていた。

そして、一日目終了。


そもそもが、一日の約束だったが、

「もし明日、空いてたら来られますか?」

と聴かれたので

「はい、大丈夫ですよ」

って答えた。

でも、内心は「え~面倒くさいな~」と思ってました。

僕の性格的な問題ですね。

僕は元来、働きたくない人間なんです。
貧乏でもいいから仕事がない方がいい、

って思ってるんです。

 

今でも、

ドタキャンされたり、急きょお休みになったりしても

腹を立てず、

「ラッキー!今日は休みだ!」

って喜べるのも、この性格のおかげですね。


「じゃあ、これから担当さんと打ち合わせして、
夜、明日以降のことについて電話します」

って言われて帰りました。

何だかわからんけど、ばたばたしとるな~と思ってたら

電話がありました。

 

「ごめんなさい、明日はナシになりました」

「あ、そうですか」

「ていうか、原稿落ちました」

「へ?」

「今日一日ネームやってたんだけど、納得いかないんで、
もう一回最初からやり直します。
だから今回は、原稿落とします、ありがとうございました」

 

もちろん担当編集者さんと協議のすえ、

落とすことが決まったみたいですけどね。


ということで、連載一話分が休載となったようです。

すごいですね。

納得いくものが描けないから原稿落とすとか。

まさにプロですよ。

プロの厳しさを垣間見た一日でした。

勉強になりました。

つづく…

 

アナログアシ時代の思い出 その15 おわり

 

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アナログアシ時代の思い出 その14「16時間ぶっ続けヘルプ仕事」

ロイホ先生(仮名)のアシをやりながら

コツコツ描いたオリジナル作品を投稿して、

某週刊誌で佳作をもらった後に働き始めた仕事場の話です。

 

佳作に入選する時って、
雑誌で入選が発表される前に
担当編集者さんから電話があるんですよね。

「入選が決まったので、
一度会って、今後のことについて話し合いましょう」

という内容の電話でした。


その打ち合わせの時に、

その編集さんが担当しているもう一人の漫画家さんの
アシスタントに入らないか、と誘われました。

僕は、断りました。

自分の漫画が認められて賞に入選した今、

また、あの嫌なストレスを感じながら

アシスタントをやるなんてまっぴらだ!と思ったから。


「でもまあ、勉強になると思うよ」

とゴリ押しされて、

一度だけヘルプで行くことになりました。


その先生は、週刊連載が始まったばかりの漫画家さんでした。

ここでは、マック先生(仮名)と呼ばせていただきます。

以前は、少年誌で連載していて単行本も数冊出していました。
年齢は、僕より1つ下でした。

マック先生は、天才肌の人でした。


仕事場は、先生が住んでいる3LDKのマンション。

ひと部屋が先生のプライベートルーム。

もう一つが、アシスタントの宿泊部屋。

一番広いリビングがアシの仕事部屋で

事務机が4つ向かい合わせに置かれていました。

で、リビングに隣接する部屋が先生の執筆室でした。


リビングでレギュラーアシさん2人、
そして、ヘルプアシさん一人、
計4人で、先生のお手伝いをすることになりました。

新連載の第3話め、だったかな?


16時間ぶっ続けでやりましたね。

その間、休憩なし、食事なし。

たいした会話もなし。

 

予測はしてましたけど、

「どこでも同じ空気なんだな~」

って感じました。

漫画の現場は、ストイックです。

僕はよそ者だったし、

「食事とかはないんですか?」

とも聞けず。

でも、さすがに腹減ったんで、

チーフアシっぽい一番年上のアシさんに

「あの…食事とかは、無しですか?」

って小声で聞いたら、

「あー、そこにあるお菓子とか適当に食べていいよー」

と返ってきました。

お菓子…といっても、

腹の足しになりそうなのは明治のエンゼルパイくらいしか…。

それに、この人数が食べるにしては数が少ない…。 (^-^;)  


エンゼルパイ1個で耐えました。

しかし、他のアシさんたちも黙々と作業してたけど…

ぜったい腹減ってたよな~!あの時。


その後どうなったんだったかな。

それが最終日で、原稿アップして解散になったんだったかな。

いや、その記憶はない。

 

僕が、1日だけの約束でヘルプに入って、

「時間がきたので失礼します~」

って帰ってきたような気がします。

それも忘れました。

初日はキツかった…。

 

 

けっきょく、その1回のヘルプで、

マック先生から、「トーンの削り方がいい」と評価を受け、

それから3年半、

連載が終了するまで

マック先生ののアシを務めることになったのでした。


つづく…


アナログアシ時代の思い出 その14 おわり


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