アナログアシ時代の思い出 その19「ストレス」
賞金100万円の新人漫画賞をいただいたことで、
僕は地に足がつかない状態になっていました。
当時、まだ数回、ロイホ先生(仮名)のアシスタントが残っていたので、
静岡県まで新幹線で行き、
3泊4日ほどの日程で背景を描いていました。
受賞したことで、
僕は、自分の明るい未来しか思い描けませんでした。
週刊連載をして人気が出て、
アニメ化!ドラマ化!映画化!
とかそんな感じです。
実際は、それが、どのような道のりなのか
まったく想像できてませんでしたけど。
これからどうやって頑張ればいいのかも
よくわかっていませんでした。
新幹線に乗る前に、
これからは文化人になるのだからと、
『AERA』とか、なんかそういう情報誌っぽいのを買って読んでみたり。
読んでみたところで、よくわからなかったりで、
完全に空回りしてた気がします。
僕の担当編集者ザクロさん(仮名)も
大きな賞を受賞したことで
がぜんやる気になりました。
「週刊連載を勝ち取りましょう!」
ということで僕は、ネームというかプロットというか、
とにかく連載できるような作品を作るために頑張りました。
もちろんマック先生(仮名)の週刊連載のアシを続けながら。
マック先生の仕事は毎週水曜~土曜まで。
それからネームを切って、
火曜日にザクロさんと打ち合わせです。
最初は、毎週ネームを持って行ってたんですが、
時間の使い方が超下手クソで、
計画性のない僕です。
土曜日にアシが終わると、
「終わった~!」
となって、とりあえずその日は酔っぱらって寝ます。
で気がゆるんで、日、月と、だらだらしてしまって、
月曜の夜になってやっと、
「あああ…、明日までにネームやらないと…!」
って、めっちゃ焦って、
ひと晩で、ネームみたいなモノをでっちあげる訳です。
1ページの真ん中にタテ描きで、
「いろいろあって、ケンカになる」
と書いてあるページから3ページ連続で、
「ケンカ」「ケンカ」「ケンカ」
で、次のページが、
「なんだかんだで、オチ。END」
とだけ書いた、お世辞にもネームとは呼べないシロモノを持って、
編集部まで行く日々が続きました。
それを見たザクロさんの顔も曇ります。
何週目かの火曜日、
ついに僕は、電車の中で腹痛を起こして、
途中の駅で降りてしまいました。
「すいません、途中でお腹が痛くなってしいまって…。行けません」
と電話をすると、ザクロさんは、
「そうか。わかった」
とだけ言いました。
それから、ザクロさんとの毎週の打ち合わせは、なくなりました。
週刊連載の話は、立ち消えになりました。
マック先生のアシスタントだけに
心血を注ぐ日々が始まったのでした。
つづく…
アナログアシ時代の思い出 その19 おわり
--------------------------------------------
流星光ツィッター
https://twitter.com/emphasizeman
流星光ニコニココミュニティ
http://com.nicovideo.jp/community/co1322310
PIXIV
https://www.pixiv.net/member.php?id=369813
--------------------------------------------